時雨くんより:
今回は文法ドリル(※和文英訳の新しい章)の説明をした後は文章をひたすら読んだので,最初上手くいかないところから,波にのってきてスムーズに読めるようになり、また少しつまづきが増え始めるところまで読んだ。
先週受けた模試では今回よりも多くの文章を読んだが、途中からつまづくような感覚はなかったので,音読の負荷が高いのか,音読の方が疲れを自覚しやすいかなのだと思う。
今後の課題としては,そうならないための文章の読み方と,そうなったときにどう読めば意味を取っていけるのかをさぐることだと思う。
さすがですね。
時雨くんがもじこ塾に来る前の昨年11月,私はIDA(アメリカのディスレクシア教師が集まる団体)の年次総会を聞きに,アメリカはアトランタまで行ってきました。そこで知ったディスレクシア脳の成長過程に関する知識と,受験英語に関する知識をミックスして,時雨くんの授業内容を調整しています。
IDAではこう言ってました→★
1) ディスレクシアの読み困難の主な原因は,文字を見て音が思い浮かばない[思い浮かびにくい,混線する]こと。
2) ディスレクシアの生徒に対する教師の仕事は,文字を見て音を思い浮かべる回路を開発してあげること。
3) そうすれば,文字から意味に直接行く回路は,生徒が勝手に開発する。
つまり,
1)→音読のほうが黙読より負荷が高く,疲れも自覚しやすい。特にディスレクシアにとっては。だから上の感想はとても率直なディスレクシア感覚です。
2)→でも,教師は負荷の高い音読こそを,生徒に課さないといけない。ここは教師の技術力の問題。
3)→そうすれば,生徒はひとりで黙読したときに,「あれ?音読するよりスムーズに読めるぞ」という実感を得られる。これが模試で得た感覚。
いまの時雨くんにとって,私の前で音読をすることは,いわば補助輪なしで自転車に乗る練習をしているようなもの。ふわっと乗れる距離を少しずつのばしている最中です。
これがもっと長くなっていって(自転車よりも、もっともっと時間がかかります,脳の回路を作る問題だから),もう補助輪なしでも大丈夫,上手に乗れるし上手に転べる・・・となったとき,時雨くんは完全黙読に移行していいんだと思います。
上手に乗れるのと同じくらい,上手に転べることは大切ですよね。時雨くんの言うとおり,疲れた自分に気づけるか,読み間違いをどうリカバーするか,といったことです。それを探るためにも,目の前で転んでもらいますよ^^;。