2022年7月18日月曜日

220607 コタくん(「せめてもじこ塾に来ている生徒には、多面的に物事を見てほしい」)

全6回の小学生向けフォニックス講座(教育実習)を無事に終えたコタくん。この講座が始まる直前に、文章を書いてくれていました。遅ればせながらご紹介します:


今日は、最近様々な授業を見ているのと、大学の授業を聞いていて感じたことを書こうと思う。

最近大学の授業で、なぜ学校に一見不思議に見える校則があるのかということを考えた。例えば、髪型や制服、靴下の色など、(別になんでも良いと思うのだが)そのような校則が沢山あるようだ。

私は、中高時代ほとんど、そのような校則は無かったため、あまり感じたことはなかったが、大学の授業では結構多くの人がそのような、別になくても良い校則を体験しているようだった。

大学の授業では、なぜそのようなものがあるのか、ということの根源には経済格差を見せないようにしていじめなどの問題に繋げないようにしているのだという。制服があったり、髪型を統一したりすることで経済格差が見えにくくなって平等が保たれるというのだ。
そして、偏差値が比較的高い学校で制服などがないのは、そのような学校は比較的、経済的に裕福であったり、差が少なかったりするからなのだということで、大学の授業は終わった。

しかし、私はそれが本当に本質的な問題なのかということに違和感を覚えた。私は、中高と国立の学校に(もちろん、ある程度の試験を突破して)入学していたわけだが、様々な成績や境遇の子がいたし、それほど自分は意識したことはなかったが、様々な経済状況の子がいたと思う。しかし、別にそれによるいじめなどは無かったと思うし、平和に暮らしていたと思う。また、小学校のときもうちの周りは、お金持ちとそうではない中流家庭が混在していたが、今でも仲良く遊んでいるしたまに会うこともある。

そこで、私は経済格差や様々な格差を気にするのかどうかには、親や学校の先生などの影響がとても大きくあるのではないかと感じている。

もじこ塾で授業を見ていても、いわゆる進学校に通っている子は成績がどうとか偏差値がどうとか、いい大学がどうとか、そのような話をしていたりする。

それが良いか悪いかということを私は言いたいわけではない。ただ、お金持ちかどうか、偏差値が高いかどうかなどの、一面的な評価基準でしか、自分や人を評価できないことがとても問題なのではないかと感じる。


おもしろい話だと思った話がある。(確か尾木ママこと尾木直樹さんが話していたと思うが)
道で工事をしている人を見て子どもが何をしているのかと親に聞いた時に、どう答えるのかという話で、ある親は、工事をしているような人にはなってはいけないと言う。しかし、ある親は、あの工事の人のおかげで、あなたは水を飲めたり、ご飯を食べたりできるのだと伝える。

私はこの話を聞いて、学歴や経済状況などの一面的なものの見方を親や保護者がすることによって、そのような価値観が固まって来てしまうのだなと感じた。

だから、せめてもじこ塾に来ている子達には、せっかく自分と同じような特性や苦手を持っている子が集まっているのだから、一面的な考え方ではなく、様々な多面的な考えを持って考えられるようになって欲しいと思う。
物事を一面からしか見れないことによって結局、ストレスが溜まり精神的な病気になってしまったり、疲れてしまったりするのは本人なのだから、多面的に自分も相手も評価できる人になってほしい。