2019年8月24日土曜日

190822 ぱぱさん

もじこ塾の設立目的である「社会変革」に賛同する,新しい生徒が入りました:


皆さん初めまして!ぱぱと言う者です。ぱぱと名乗ってますが実際は高校三年生だったりしますwこれから少しこのもじこ塾と出会った訳などを話していきたいと思います。

僕は高校2年生のときに共生社会について考えていく学校のゼミを取っていました。その最後の講座の題材がディスレクシアについてで、成田先生に講師として来ていただいていました。その時は、まだディスレクシアというワードすら何となくしか知らなかった僕でした。その講義の中で、簡単なディスレクシアの診断テスト(?)があり、ちらっとそこに書かれている文言を見ると、「あれ、なんかこれ僕のまんまじゃね?」と思いつつちゃんとみて見ると(確か12項目あったようななかったような)やはり殆どの項目に当てはまっていました。

⇒旧版のチェックテストですね。このとき「このテストって国語の話ですか,英語ですか」と彼から聞かれたのがきっかけで,「もじこ塾バージョン」と題したチェックテストを作りました⇒

次にグミを使って発音を試すテストのようなものをやってみたら、最初の問題で訳が分からなくなりお手上げでした。この時初めて自分がディスレクシアかもしれないと自覚しました。
⇒ハリボーのことですね。このときはフォニックスを教えて、それをもとにセンター試験の発音問題に挑戦しました。




 けど、今思えば昔からその兆候はあったなと思います。
中学校の時からかな、先生の話を聞きながら板書を書くのが絶望的に無理で、どちらかが追い付かなくなるともうあきらめてたことが多々あり、家でもある時から、日本語外国語問わずテレビに字幕を付けることが非常に多くなってました。(最近は外してみたりするんですが結局付けてることが多いです)

 ディスレクシアかもしれないって分かったとき、最初に感じた感情は『納得』でした。

勉強していて違和感として感じてはいたが理由が分からなかったことが一気に片付いて、ストンと落ちた気がしました。
次に受験が控えてる身としてどう付き合っていこうかなぁって一瞬思ったんですが、まぁいっかとその時はおいておきました。

 それから、ディスレクシアについて興味が沸き、高3の研究テーマにしよう!!って思いました。そして、研究を進めている内にまた成田先生とご縁があってもじこ塾に入った次第です。


 さて、今回話したい本題ですが、今まで学校で学んできて感じた違和感について話しつつ、余談程度に僕の文章の読み方(誰にこの方法を話してもおかしいと言われますw)を話していければと思います。

 僕が学校で感じてきた違和感は、「皆が一緒が素晴らしい」という風潮が蔓延してることです。人間、違ってこそ面白いのに今の学校教育は全員が一様であることに重きを置いているような気がします(学校の朝礼や、運動会の行進、卒業式等の一斉に起立するアレetc...)それに付随しているのか分からないですが、素行面だったり勉強面であったり、どんな分野でも、皆から飛び出ている人は先生はおろか友達からも叩かれることも多々あるということです。
これをしてしまうと、何か新しいことをするときに、絶対に周りの目を気にしてしまうようになってしまうので​​はないかと個人的にずっと思ってます。
特にディスレクシアの人たちは、個性が強い人たちだと聞いています。このような学校制度、ひいては社会でとても生きづらいと思ってしまいます。

僕は将来的には何らかの形でこの今まで感じてきた違和感を感じずに学生たちが過ごせるような社会作りに関わっていきたいと思ってます。
(⇒同志!!!(*´∀`))

さぁ、余談の僕の文章の読み方ですが、皆さんは普段どう文章を読んでいるでしょうか?

大体の人が、一文ないし一行だと思うのですが、僕の場合はほぼ1段落をまず一気に目を通して、その後にもう一回見て見落とした内容を拾っていく、という読み方をしているのですが、変ですかね?ww

こんな者ですがよろしくお願いします。

~~~
変とは思いませんが、普通じゃないですねw。ディスレクシア的にはあるあるな読み方ですが、ぱぱさんの場合、処理能力が半端ないです。

ディスレクシアは音と文字がつながっていないのが主症状ですが,そのなかでも彼は圧倒的な視覚優位型。新聞なら10行ほどのブロックを一度に見て,何秒かでキーワードを抽出。この方法でまずは最後までガンガンと目を通したあと,2周目で大意から細部へと詰めていきます。
このプロセスでは文字を音にすることはいっさいありません。
そして、俯瞰能力,短期記憶,知識量が超人的でないとできない読み方です(※)。

英語は、目の前で少し読んでもらったところ、キーワードだけ見て,あとは全力で意味を推測していました。
この方法で高校入試まで突破したそうですが(良い子のみんなは真似しないこと。理由:※)さすがに大学入試はその読み方では太刀打ちできません。

「英語は構文が重要。語順の感覚を持って、左から右に順に処理することがものすごく重要なんだよ」と言っても「不自由!拘束感はんぱねえ」と当初は断固拒否。6時間かけてようやく説得に成功しました。

圧倒的な文字処理能力に対し、音声から情報を得るのは苦手で,上にもあるようにテレビにも字幕がないと耳がついていかないとのこと。
集団授業についていくのは,ノートテイクを放棄すれば可能だそうです。

日本語も英語も、音読すると意味が頭に入らなくなるそうです。リスニングは非常に苦手。フォニックスも苦痛です。
でも、英語の文章を音読することは、まあできます。しかも彼の英語の発音はふんわりと心地よいのです。(第1の不思議な点)
「発音いいって言われるでしょ」と聞くと「帰国生の同級生に"発音がいい"と言われ,煽られてるかと思った」。
いわゆる"音楽の耳で言語を聞いている"気がします。
必要以上に繊細に言語音を聞き分けており、無駄に脳のリソースを食うはずです。

しかも、「リズムからわかる意味がある」と言って,ときどき小声で音読しています!(第2の不思議な点)

こんな彼には目の前で黙読してもらい、その視線や鉛筆の動きを観察することにしました。
しばらくは、構文をとって読む練習と、できれば音韻認識の訓練を行う予定です。