◆前振り:
「リスニング問題で壁にあたっている人は,リスニング問題を大量にやる前に
そもそも英単語を構成する「音」について,緻密に分析したほうがいいと思う。
自分が聞こえていない音が何かわかると,リスニングも向上するはず。
同時に,発音問題もできるようになるという,おまけがあるはず」
「今から教える方法は,世界でも最新のもので,
去年アメリカの学会に行って仕入れて来ました」と煽り( ̄ー ̄)・・・
◆「これからフォニックスを教えます。フォニックスって知ってる?」との問いには:
・公立中出身の生徒は全員が知らず。「何それ、おいしいの?」状態。
・私立中出身の生徒1名が「一応学校で習った」(のちに、単に一覧をさらっと読んだだけと判明)。
・「予備校の中学部の先生が、発音記号を重視する教え方だった」
と語る生徒1名には、
「フォニックスというのは,発音記号に対応している音を,発音記号ではなくアルファベットの文字そのものに紐づけしたもの」
と言うと,フォニックスをすぐに理解しました。
高3の受験生だと,指示しなくても熱心に口を動かしてついてきます。
15分ほどでひととおり教えることができます。
続いて,センター試験の発音問題を解いてみました。
「アメリカで,この練習のときはグミを使ってねって言われたので,持ってきました~」
と言ってハリボーを出すと,生徒は大喜び(^^)。
一つひとつの単語をハリボーで表現してもらい,「この問題はここの音(ポイフル1個)の違いを聞いているんだよ」と指摘すると,フォニックスを知ったばかりの生徒は一様に驚きます。
驚きの具体的内容は
「そこを聞いているのか!」
「そんな細かいところを(以下同)」
「ここで聞かれていることは,フォニックス表に対応しているのか」
というもののようです。
◆感想:
「学校でフォニックスは習ったけど、判別までは習っていなかった。似た音の区別がめっちゃ疲れる、難しい」
「これまで英語に感じていたもやもやがすっきりした」
「今までセンターの発音問題では、まったく点が取れなかった。今回初めて正解できたのでうれしかった」
「難しい、全然わからない」(この生徒は、読解はよくできますが、ハリボーでは子音の後に母音を必ずつけてしまうなど、苦労していました)
全員、進学校に通う定型の高3です。
◆ディスレクシアの生徒との比較:
・フォニックスやハリボーに「驚く」という点は、ディスレクシアも非ディスレクシアも、それほど変わりません。
違うのは、フォニックスを知ってから自分で使えるようになるまでのスピードが、定型だと圧倒的に速い点です。
フォニックスを一回教えればすぐに覚えますし(正しく口の形を作るには練習が必要ですが)、「文字ではなく音で考えてね」と言えば、割とすぐ、そうできるようになります。
音節の概念も、言えばすぐに理解できます。
文字を見て音をすばやく想起できるし、音素を記憶しておき、操作することも簡単にできます。
このあたりに、ディスレクシアの生徒との違いを感じます。
今回の生徒は高3の上位層、つまり単語量がかなりあることも、英語の音の体系的理解を助けているのでしょう。
定型であっても、ある程度単語を覚えた段階で、音韻認識の指導を網羅的かつ明示的に行うことには効果があるようです。
・一方、日本語の母語干渉による間違いという点では、ディスレクシアと非ディスレクシアは共通しています。
rとlはもちろんですが、wとoo、long oと/au/の区別(noteとnot、wokeとwalk)、/ar/と/er/と/or/の区別(wereとwar)などが特に難しいようです。
今回は、ハリボーを並べて「英語は音と文字の対応がめちゃくちゃの、例外がたくさんある言語」だと言うと、生徒たちが心底ほっとした様子になるのが印象的でした。
都立トップ高に在籍し、難関国立大を志望する定型の生徒も、英語に関してはとても身構えているようです。
明らかにほっとしたその様子からは、英語の音や単語の読み方といった一見"基本的"なことを,「わからない」と言うのが許されなかったことが伺えました。
「英語のスペルはとても難しいもの。
これを読んだり覚えたりするのは、決して当然のようにできるものではない」
とはっきり伝えることで、生徒たちは非常に安心するようです。
~~
電子辞書の発達によって,単語の発音を簡単に聞けるようになりました。
しかしその反面,発音記号を教えなくなったことで,生徒は英語の音素をはっきり教えられないまま,単語を読むことを強いられており,そのことが定型の場合、英語に対する漠然とした不安の源になっているようです。
(ちなみに、ディスレクシアの場合、英語がまったく読めないことの源になっています)
英語の音素を体系的に教えること,文字と音の対応を教えることは,ディスレクシアであるなしを問わず,必要不可欠なステップなのだと,改めて感じました。